- 徳川家康ゆかりの快速帆船が模型となって蘇る!
民間では焼津の漁師にだけ許された八丁櫓船
- 江戸時代、交通は軍事の要として江戸幕府に厳しく管理されており、海運業も例外ではありませんでした。軍用船よりも速度が出てしまうと問題があるため、民間の船は櫓(オール)が七丁以下の船しか認められていませんでした。しかしあるとき、護衛という安全保障上理由から、特例として焼津浜の漁民にのみ許したのが、快速帆船として現代にまでその名を残す「八丁櫓船」です。この由緒正しき護衛船を葵の家紋もそのままに木製模型として再現しました。中世の木製帆船として博物館にも残る歴史的な名船をぜひあなたの手で組み上げてください。
●セット内容/木製部品:36種、金属部品:2種、その他(布帆、旗、ロープ、他)
●サイズ/完成時:全長59.2×全幅32×全高50cm(飾り台含む)
●材質/ヒノキ・朴等の木材、エッチング
●日本製
●重さ/300g
●1/24スケール
●制作参考時間(約)50時間
八丁櫓の由来
時は江戸時代初期、駿府に隠居していた徳川家康は、焼津浜から久能海岸まで船で渡り鷹狩りに出かけることとなった。近隣の漁船を護衛に任命したが、櫓が少なく家康の船に追いつけないため警備を果たせなかった。このとき一人の漁師が家康に「これより速く船を進めるためには、禁止されている八丁櫓を使うしかない」と直訴し、家康は日本全国でこの地の漁師に限り八丁櫓の使用を認めたのである。